毎日がヤマバ

~Everyday in the Mountain~

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近江八幡

 近江八幡に出かけた。
当初の目的は「壱製パン処」だけだったけれど,少し町をぶらぶらしていると,とても落ち着きのある町並みだ。「酒遊館」へ。ここは酒蔵を改装して作ったレストラン兼カフェ。建物そのものに味があって居心地が良さそうだったけど,あいにく満員ということで断念。その後八幡宮から水郷を少し歩いてから,水郷沿いの「蔵」というこれもまた水辺の落ち着きある建物のカフェで一休み。
 そこで読んだものは「Rock&Snow」

 トミーの 「EL Capitan」の記事。もちろんとんでもない記録を成し遂げたことだけでも感銘を受けるのだけど,その書きっぷりが彼のことをもっと好きにさせてくれた。
 まず,チームフリーにこだわるあたり。一人で成し遂げるよりも,同じ空間を親愛なる仲間と共有することで豊かになる経験を大切にするところ。パートナーを大切にする心の余裕。単なる岩登りじゃなく,パートナーとの岩登りを大切にしている。
 それから,ベスとのトライの中で,トミーが先にチェンジング・コーナーに成功した後の妻への気配り。自分の成功よりも人に与えるプレッシャーを思いやる優しさ。
 そして,人気ルートの「The Nose」で自分以外のクライマーに気を配るあたり。自分がいかにすごいことをしていても,そのことを鼻にかける風も無い。自分よりもずっと低いレベルであっても,それぞれのレベルで自分の限界にチャレンジしている人々から力を得ている謙虚さ。
 もうひとつ。バリエーションにうたれたボルトについて。世界最高レベルで行われている葛藤であり,私がきちんと理解できているかどうかは怪しいけれど,少なくとも彼の無念さは理解できる。そこはすでにフリークライミングを成し遂げられたルートであって,しかもそれまでもアメリカンエイドで築き上げられてきた歴史を持つルートだからだ。しかしだからといって無作法な手段に移るわけではなく,公の場で自らの意見をきちんと表現している点。
 彼は個人的な思い入れよりも,ルートの経てきた歴史的な背景を元に,自分の考えを表現しているにすぎない。ともすれば岩場を個人の所有物と勘違いしがちな人々に,彼のささやかな自己表現を見習って欲しい。
 
 個人的な思いや考えを十分に表現しながら,決して叙情的になりすぎず淡々としている分,むしろその極限的な状況と努力が伝わってきた。

 というわけで,ロクスノに触発されてそのままKO-WALLへ。
  1. 2007/03/11(日) 23:02:31|
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クライマーズ・ハイ

 クライマーズ・ハイという本を読んだ。
 取り立ててクライミングの本という訳でもなさそうだったので,進んで読もうとしていなかったけど,友人が貸してくれたので読んでみた。感想はとても面白かった。

 全体を通してすごく緻密に計算され,組み立てられた筋書きだった。たくさんのエピソードが絡み合いながら,そのひとつひとつにきちんと意味を持たせていて無駄が無かった。とても好きな文書構成だった。

 主人公の生き方。仕事にも家庭でも手を抜かず自分を表現し,一生懸命であろうとしながら,そうすることがかえって軋轢を生じさせてしまう。思いと結果とがかみ合わない葛藤,どうしようもないもどかしさをかかえながら生きていく。世界最大の飛行機事故という特異な事例を中心に話が進みながらも,主人公を通して表現される内面の世界は,誰にでもありそうなごく日常的な葛藤だったと思う。
 そんなもどかしさの中にも,ふと訪れる安らぎのとき。手をぬかずに表現することで伝わるもの,そういうものがきっとあると信じて一生懸命生きていけたらいいと思う。
 その人にとって何が幸せなのか,それはその人にしかわからないものだと,つくずく思う。

 
 
  1. 2007/01/08(月) 23:53:51|
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サーキット&特攻

今日も柏木に行ってきた。
サーキット,
下部からトライしてみたが,
下から行くとやはり疲れてしまって
サーキットに入ってから体の動きが悪い。。。
下部のムーブを洗練しないと。

核心のムーブを少し変えてみた。
変えたほうが体の流れにそっているので
素早く難しいホールドを通過できそうだ。

3回トライして,3回目が一番体が動いてた。
よくわからん・・・

城山三郎の「指揮官たちの特攻」を読み終えた。

読んでいる最中は「憤り」を感じていた。
今の時代で考えれば,あまりにも理不尽で有り得ない判断が行われていたのだ。
しかし,それは当時としては有り得たのだ。
それが,それほど遠くも無い祖父たちの時代に。

読み終わってから
もう一度考えてみた。
本の中では「哀しさ」が多く表現されていた。

僕の感じた「憤り」という感情について
僕は著者の思いをきちんと読めたのだろうかと思った。
著者は正に特攻が認められる時代を生きた人間だ。
その時代を生きた人にとっては,
リアリティをもって,「特攻」が許される空気を感じていたはずだ。
一方,僕はその空気を実感できない。
「憤り」の感情はある意味,他人事のように捉えている部分がないだろうか。
もし,僕自身がその時代に生きたなら,特攻を命令する側の人間になっていたのかもしれない。
「憤り」という感想には,リアリティを欠いているのかもしれない。

指揮官たちの特攻


読み終わって間が無いので
この本について
また書こうと思う
  1. 2006/09/30(土) 23:35:27|
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